メール文体考

 baby faceというところで、メールの書き方にモノ申す!!という記事があった。それに関して思うところをいくつか。

 そこで挙げられていた「ダメすぎなメール」というのは、
  1. .冒頭に挨拶もない(”おつかれさまです”とか)
  2. .ほんっとに用件しか書いてなく、驚くほど短い。
  3. .最後に「以上」と買いてある。
ということらしい。
 正直な話、「う~ん、そういう事言われちゃう時代になっちゃったか・・・・」という思いである。

 率直に結論を言ってしまえば、「1,2に関しては、e-mailの歴史や習慣・マナーを知らなすぎ。但し3については、同意。」ということになる。

 そもそも、メール(e-mail)というのは、UNIXが出来た当初から存在する非常に歴史の古いツールであり、現在でもその仕様や慣習を引きずっているところがある。
 「データは全てASCIIコード(いわゆる半角英数文字)でなければならない」というのもその一つであり、日本語のメールなどはこの仕様に従うため、メーラー側でわざわざエンコード・デコードという作業をしているのだ。(e-mailで半角カナが厳禁なのは、この関係である。)一昔前はUNIX・Windows・MacOSでそれぞれこのエンコード方式が違うため、互いに日本語メールのやりとりが出来ないという時代すらあった。

 それとは直接関係なのだが。そんな時代においては、メールをやりとりするためのリソース(資源、環境)も、今とは比べものにならないほど貧弱だった。回線の太さも、メールサーバーの性能も、ディスク容量も。それをみんなで共同利用しているわけだから、当然利用者一人一人の責任として、出来るだけリソースを節約しなさいという話になる。
 「メール文は出来るだけ簡潔に」「サイズは128Kbyte以内」というe-mailのマナーは、この様な事情から生まれたのである。

 初めての相手や顧客に当たる相手に対してはさすがにそれなりの礼文を添えることもあるだろうが、同じプロジェクトで仕事をする仲間に対していちいち挨拶などしないというのが普通であり、長々としたメールなど書こうものなら、厳しい相手なら容赦なく罵倒される。そんな時代が、あったのである。
 さすがに今はリソースも充実し、e-mailを使う人も多種多様になったので。必ずしもこれを守らなければいけないわけではないのだが。この原則を守っている人に対してとやかく言うのは、おかしい。少なくとも、ダメすぎということは、決して無い。


 ただ、前述のように、文末の「以上」に関しては確かに違和感はある。容量を削りたいのであれば「以上」の2文字なんて要らないし、一言添えたいのであれば「以上よろしくお願いします」とか、そこまで書くべきだとは思う。
 私も、仕事関係でこの「以上」メールを受け取ることがままある。殆どの場合、大きめの会社の、管理職以上だ。地位も教養もそれなりにある人達のはず。そこで、なぜメールの文末に「以上」などという言葉をつけるようになったのか、考えてみた。

 「以上」を文末につける文書というのは、実際にある。役所からの通達文書というのが、典型的な例だ。その例にならったのだろうが、大企業の通達文書や稟議文書でも、文末に以上とつけることは多い。
 ところで、e-mailにはcc(カーボンコピー)という一斉同報機能がある。ネットワークインフラの整備が進んだ会社では、この機能を使ってe-mailを稟議文書代わりに活用しているところも多い。こういうところで、稟議文書の書式そのままに文末に「以上」をつけるようになり、それがその他のメールでもその癖が伝染ってしまったのではないか。

 と、理由を考えてみた。あくまで、個人の一考察である。


 まあなんであれ。時が移ればルールや慣習というのは変わるものであり、メールとて例外ではない。いつまでも過去の形式にこだわり続けるのも問題だろう。が、それは逆に文章スタイルにも言えることでもある。戦前であれば、口語体で手紙を書くということ自体とんでもないことであり、それが敬語を織り交ぜた口語体なら許されるようになっていったわけである。
 時々に応じて、互いに適宜相応しい形に姿を変えていく。それが理想型だと言えるだろう。むずかしいけどね。


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